イザヤ45:1−7/エフェソ1:15−23/ヨハネ17:1−13/詩編102:13−19
「聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」(ヨハネ17:11)
26日の木曜日が昇天日でした。ルカ文書によると復活のイエスは40日の間弟子たちと共に過ごされて(使徒1:3)、弟子たちの見ている前で天に挙げられたというのです。
40日と呼ばれる40の数字は、ひとつふたつと数字を重ねていって40個になりました、という意味ももちろんあるかも知れませんが、むしろ完全数として特別な意味づけがなされている数字でもありますから、40日間と言うよりも、完全になるまでの間という意味合いが強いのかも知れません。エジプトを脱出したイスラエルが荒れ野を放浪したのが40年、イエスが洗礼を受けた直後に悪魔の誘惑にあわれたのが40日40夜、主の苦難を憶えるレントが40日、そしてあまり深く顧みられることはないかも知れませんが、主のご降誕を待つアドヴェントと、公現日と言われる1月6日までが合わさると約40日になります。
ルカ福音書は復活された主イエスが弟子たちに現れた日々のことについてこう書いています。「イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」」(ルカ24:44−49)。それが「完全になるまでの間」であるとしたら、「心の目を開いて」「モーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」ということがハッキリとわかるまで、という意味が込められているのかも知れませんよね。そしてたぶん弟子たちは人々を恐れる必要はなく、神さまのご計画を知って、安心と力とを得てイエス亡き後を生きて行くある意味覚悟のようなものを感じたときに、「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」(ルカ24:50−51)ということになったのだと思われます。イエスが離れていったのに弟子たちは「イエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り」(同52)とあります。もはや悲しんでもいないし、心細いとか心配だということもない。イエスが充分な時間充分に力づけてくれた証拠でしょう。
イエスの昇天とはそういう意味があるのです。ヨハネ文書には40日のことはありませんが、しかし復活のイエスの思いはヨハネ福音書の一番最後である21章にではなく、例えば今日お読みいただいた17章に既に書かれていると見るべきでしょう。ヨハネ福音書は12章でエルサレム入城を果たすのです。13章は洗足、以後告別説教が続き、その最後の祈りが17章だからです。
その祈りは弟子たちのことを執りなすイエスの祈りです。他の共観福音書とは違ってヨハネ福音書のイエスは既に、十字架で殺されることを受け入れておられる。だからイエスの関心はご自分の死後のことにある。残される弟子たちが、決して捨て置かれるのではないということをイエスはこの祈りで弟子たちに告げ、そして神に弟子たちをお守りくださることを祈るのです。「聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。」(17:11)という祈りはそういう祈りです。それは「彼らも一つとなるため」(同)でした。
わたしたちは人間としても、あるいはクリスチャンとしても、豊かなバラエティに富んでいます。悪く言えばバラバラです。でも、どれ程バラバラでもそれはひとつも問題ではない。何故ならイエスが祈ってくださっているからです。いつもわたしたちのそばで執りなしていてくれるからです。そのイエスの祈りとは、いつかわたしたちが、バラバラのわだかまりが解けてひとつになるようにという祈りではありません。そうではなく、既にイエスにあって一つであるという宣言を伴っているのです。神がわたしたちを守ってくださっているのが事実なのですから、守られている時点で既にわたしたちはひとつです。全く同じ色に染められて声も動きも完全にシンクロするというユニフォーミティではなく、豊かなバラバラが神の奇跡によってひとつになる、既になっているというユニティにわたしたちは生きているのです。それがイエスの祈りであったことを、わたしたちは心に刻み、憶え続けたいと思います。
祈ります。
すべての者を愛し、お導きくださる神さま。イエスの執り成しの祈りによってわたしたちは神さまに憶えられ、既にひとつとなっていることを知りました。わたしたちがバラバラに存在するのは神さま、あなたの御心であるとわたしたちは信じます。わたしたちに与えられる聖霊によって、それぞれに違ったバラバラの賜物が与えられ、わたしたちが生きている間そのバラバラの賜物によってあなたを証しするように召されているのです。感謝いたします。生きている限りあなたを証しし続けることが出来ますように。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。